「相手を刺激するな」という発言の底にあるもの

日本が何か他国と緊張状態にあるとき、必ず一部のマスコミが言い出すのが、この「相手を刺激するな」と言う言葉である。相手は、大統領が竹島に上陸したり、領海を侵犯したりしたい放題をしていても、それは放置して必ず日本側に対してだけ発される。「冷静な対応が必要だ」、などとも併用される。

まあ、そんなに悪い言葉とは言えない。しかし、なぜ日本側の手足を縛ると言う方向にだけ行くのだろうか。そうしたからと言って、相手も冷静になったり、刺激的な行動をやめるとは限らない。むしろ一般的には逆である。竹島自体、日本が占領下で何も対応できなかったから、韓国の支配下になったというのが実情なのだ。

最近では、ISISの人質事件でもいわれている。周辺諸国の難民援助がISISを刺激したから、二人の人質の生命が危険になった、日本がテロの標的になった、などと、まるで難民援助が悪い行為であるかのように言う。奇妙な話である。誰の気をも害さないように様子を伺ってひっそり生きていけ、というのだろうか。日本はもはやそんな存在ではない。

しかし、引っかかる言葉である。何よりも、それを言う人たちが、その態度が絶対に正しいかのようなスタンスを取っているのが奇妙だ。それが当然であるかのようにいう。前からおかしく感じていたのだが、どうもISIS関係で我慢できなくなって、ブログにも書いた → ブログの記事

そこでは今現在の具体例に即して書いたのだが、それ以前の感性的な面が気になっている。
ああいった発言の裏にあるのは何なんだろうか。

1.日本の手足だけを縛って敵を利しようという売国奴的意図(笑)
2.外部には言いにくいが、内部には何言っても大丈夫という、内弁慶的気質
3.日本の悪口を言うのが常に正しいというGHQ的自虐意識
4.まず内部の姿勢を正して相手に対しようという、修身、斉家、治国、平天下的な古風な感性


ざっとこんな所だろうか。しかし、こういった常識的な理解では済まない何か見えないものがあるような気がしてならない。彼らの、いかにもこれが当たり前、というスタンスが気になる。特に何も意識せずに言ってるように見える。

で、ちょっと考えたのだが、あれらの発言の背後にあるものは、アニミズム的な恐怖心なのではないだろうか。
「触らぬ神に祟りなし」なんてまさにぴったりの言葉もある。

日本には古来、数多の怨霊、祟り神が現れた。菅原道真、崇徳天皇、平将門など。彼らは信仰の対象となって祀られたが、決して功徳をもたらすものとしてではなく、祟らないように、との思いからである。道真は別の意味で学問の神となったが。近年に現れた似たようなものとしてゴジラがあるかもしれない(笑)。何か理由は分からないが日本に祟っているのだ。怨霊と米軍の日本攻撃、あるいは、台風などの自然現象などが合わさったイメージとして受取られているのではないだろうか。

そういった力のある恐ろしいものには触らないほうがいいのだ。怒らせてはいけない。刺激してはいけないのだ(笑)。
外国にいる敵は、意図の良くわからない意味不明な存在だ。そういったものからは離れるほうが良い、触ってはいけない。そういった心性が奥底にあるから、何気なく、刺激するなといってるのではないだろうか。

が、勿論、中国はただの国である。しかも独裁的で残虐に少数民族を殺してる国家だ。ISISはその地域の罪もない女性子供を何の意味もなく殺しているテロリスト集団だ。そういったものを遠ざけて恐れていてはいけない。世界の一員として、あるいは主要なプレーヤーとしてそれなりに対応しないといけない。

人々が何気なく行動し考える所に、そこの文化の特色が現れる。おそらく、こういった発言は、深慮から出てきたものではなく、日本人特有のある種の信仰心や自然観から出てきたものではないだろうか。マスコミや一部「識者」たちは、自分たちの意見が絶対などと考えないで、一度、心の底をのぞいてみたら如何だろうか。

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