NHK「漢詩紀行」~江守徹の「読み」(2)
 h22/9/5~h24/4/24修正~h25/11/1修正
  
ここは、NHKの「漢詩紀行」での江守徹氏の読みについてのページPart2です。

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11.李白 「早に白帝城を発す」*       12.王之渙 「涼州の詞」*          
13.杜甫 「倦夜」*                14.陸游 「村居して目に触れしを書く」*  
15.孟郊 「登科後」
               16.陶淵明 「移居 その二」*        
17.李煜 「浪淘沙令」*             18.李白 「月下独酌 其の一」  
19.白楽天 「八月十五日の夜、禁中に独り直し、月に対して元九を憶う」*
20.杜甫 「登高」*               


Part1
1.李白 「秋浦の歌 其の十五」       2.白楽天 「長恨歌~第十一段」      3.高啓 「胡隠君を訪ねる」          
4.屈原 「漁父」*       5.李白 「山中にて幽人と対酌す」        6.杜甫 「岳陽楼に登る」  
7.岑参 「胡茄の歌~願真卿の使いして河隴に赴くを送る」*        8.杜牧  「清明」*               
9.白楽天 「重ねて題す」*      10.李賀 「蘇小小の墓」*


Part3
21.王維 「酒を酌みて裴迪に与う」*      22.白楽天「紫毫の筆」      23.李賀 「楊生の青花紫石硯の歌」* 
24.杜甫 「岳を望む」*      25.李白 「泰山に遊ぶ六首 その一」*     26.王維 「香積寺に過る」*         
27.蘇軾 「念奴嬌~赤壁懐古」*  (赤壁の戦いの実相は?)      
28.韓愈 「桂州に嚴大夫を送る」*

※お断り 原文を参照して全て原字で入力していますが、第2水準の漢字の場合、正しく表示されなかったり、場合によってはその部分が脱落している場合があります。特に、23,25,27番辺りで起こりがちのようです。お気づきの点があればご連絡下さい。


11.李白 「早に白帝城を発す」       

朝に辞す、白帝彩雲の間         明け方、朝焼けの雲をまとった白帝城に別れを告げ、
千里の江陵、一日にして還る      千里も離れた江陵までわずか一日で漕ぎ下った
両岸の猿声啼いて住まざるに      両岸の猿たちの悲しげな啼き声は途絶えることはなく、
軽舟已に過ぐ、万重の山         小さな私の船は、幾重にも重なる山々を一気に通り過ぎたのだ

この詩は作られた時期について諸説あるようです。20代の頃、故郷を出て都に向かう際に読んだ詩とか、晩年に夜郎の国に流されたあと許されて都に帰るときに読んだ詩、など。問題は、3行目の「猿声」でしょう。猿の声は、中国では悲痛な気持ちを表すものだということですが、故郷と別れるときの悲しみなのか、配流の地における悲しみなのか。

私は多分後者だろうと思います。出立の詩にしては、溌剌さや清新さ、将来への希望などが感じられず、それより、当地を離れたがってるのではないか、という印象を受けるので。李白は自分の惨めな気持ちや辛い思い出を直截的に表すことを嫌ったのだろうと想像します。ただ、「猿声」や「万重の山」といった言葉にそれを担わせたと。4行目は、ひ弱な立場の自分が、辛く重い過去と別れることを暗示してるだろうと。
ただし、番組の解説では、若き日の出立の歌となっていましたが。

江守氏の読みも、低めのトーンでこの解釈との齟齬は特にありません。
トーンが上がるのは、1行目と、2行目の前半。これは内容的にそれで自然と言えるでしょう。特に2行目は読みのスピードを上げ、また強調して、言葉の意味を音声に乗せています。3行目は同様に低く沈み、4行目は「万重の山」で強くしめる。余韻を残して読み終えます。
江守氏の読みの中でも、好きなものの一つです。
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12.王之渙 「涼州の詞」
    

黄河遠く上る白雲の間        黄河を遠くさか上って、白雲のかかる所
一片の孤城、万仞の山        高い山々に囲まれて、孤絶した城
羌笛何ぞ須いん、楊柳を怨むを   周囲の羌人は、別れを怨む「折楊柳」の曲をどうして吹いて聞かせようとするのか
春光渡らず玉門関          ここ玉門関の外は、春の光も届かず、楊柳など見あたらないというのに

唐の時代、中国の西北部、敦煌の先、楼蘭の手前に玉門関があり、その先にある孤城が最前線で、この詩の当時、羌族と対峙していた。王維の詩で有名な陽関は、敦煌と玉門関の間(南、天山南路側)。その地域一帯が涼州で、涼州詞というのは、その地域を詠んだもの(歌の形式)。

羌族は唐の兵士の戦意を失わせようと、家族や友人達との別れの際に歌われたであろう折楊柳の曲を笛で吹いていた。折楊柳というのは、柳の枝を丸く折って、無事に帰ることを祈って旅立つ人に送った物、またそれにちなんだ曲。

江守氏は、その状況に相応しく、3行目まで厳しく清んだ調子で読み、最終行でやや感情を表に出しています。     上へ


13.杜甫 「倦夜」
     

竹涼臥内を侵し         竹林の涼気は寝具の内にまで入り、
野月庭遇に満つ         野の月は庭の隅々をも照らしている
重露涓滴を成し         露は重なってしずくとなって滴り落ち、
希星乍ちに有無         明るい夜空には、まばらに星々が瞬いている
暗きに飛ぶ蛍は自ら照らし   暗がりの中、蛍は一粒の光となって飛び、
水に宿る鳥は相呼ぶ      水鳥はお互いを呼び合っている
万事干戈の裏          これら清らかなものの全てが、今戦火の内にある
空しく悲しむ清夜の徂くを    このような夜が去りゆくのは悲しいが、せん方もない

どんな戦争でも、その裏には変わらぬ日常や自然があるわけですが、杜甫も安禄山の乱の最中、周囲の穢れ無きものに目をとめます。そして、個人が全く無力で何もできないということを改めて痛感させられるわけです。

江守氏の読みは、まさにそのような状況に相応しいもので、余計な言葉は無用でしょう。     上へ


14.陸游 「村居して目に触れしを書く」
     

雨霽れて、郊原麦を刈ること忙しく     雨も上がって、郊外の畑では農民は麦を刈るのに忙しい
風清く、門港糸をすこと香し         風が清々しく吹いて、日にさらした蚕の糸の香りが家の前にも漂ってくる
人ごとに笑語饒く、豊年楽しむ       誰もが笑顔で話し、豊作を喜んでいる
吏は徴科を省き、化日長し         官吏も税を軽くしてくれて、太平の一日がゆったりと過ぎる
枝上花空しくして、蝶翅閑かに       木の枝では花が散って、蝶の羽の動きものどかに、
林間葚美くして鶯吭滑らかなり        林の中では桑の実が熟して、鶯の声も滑らかだ
飽くまで知りぬ、遊官多味無きを      役人として任地を巡る暮らしの味気なさが、改めて良く分かる
恨む無かれ、農となりて故郷に老ゆるを  農民として故郷で一生を終えて、悔やむことなどないのだ

これも詩情を良く表した読みで、説明は不要でしょう。
前の詩も含め、最後の2行に現れ出る作者の気持ちが良く表現されてると思います。      上へ


15.孟郊 「登科後」
     

昔日の齷齪、誇るに足らず
今朝放蕩として思い涯無し
春風、意を得て馬蹄疾し
一日見尽くす長安の花

作者が50過ぎてやっと科挙の試験に受かり、その喜びを表した詩。当時科挙の合格者は、発表の日、無礼講で長安の貴族達の名園に入って、好きなだけ花を看ることが出来たという。4行目が何とも良い。

江守氏の読みは、3行目に向かって高揚し、4行目の満足した雰囲気で終わる。      上へ


16.陶淵明 「移居 その二」
    
   
春秋佳日多く             ここは春や秋には良い日が多く
高きに登りて新詩を賦す      そんな日は小高い所に登っては、詩作にふけっている
門を過ぐれば更ごも相呼び     知り合いの家の門口を通り過ぎるときには声を掛け合い 
酒あらばこれを斟酌す        酒があるようならば酌み交わす
農務には各自帰り          農作業があればおのおの家に帰って働き
間暇には輒ち相思う         暇が出来ればお互いに気にかける
相思えば則ち衣を披き       気にかければ直ぐに衣を着て出かけ
言笑厭く時無し           談笑して飽きることはない

此の理、将た勝らざらんや    このような生き方ほどに素晴らしいものがあろうか
忽ち茲を去るを為す無かれ   また直ぐにここから引っ越すようなことは決してするまい
衣食当に須く紀むべし      生活は自分でしっかりとやっていくことだ
力耕吾を欺かず         農作業は一生懸命にやれば裏切られることはないのだから

陶淵明がそれまで住んでいた家が火事になったため、新しい家に移って詠んだ詩。田舎の素朴な生活こそが一番なのだ、という作者らしい詩。
3行目から8行目辺りは、一昔前の日本の田舎の風景でもあります(今はどうなのか)。田舎には飲み屋なんかありませんでした。

江守氏の読みはごく自然な口調で、耳にも心地よい物です。      上へ


17.李煜 「浪淘沙令」
 
   
     
簾外に雨は潺潺たり               御簾の外、雨は絶え間なく降りつづき、
春意闌珊たり                   春は過ぎ、季節は替わろうとしている
羅衾は耐えず、五更の寒きに          薄絹の衣は寒く、夜更けに目覚めて雨を知る
夢の裏に身は是れ客なるを知らずして    夢の中では虜囚の身を忘れて、
一餉、歓びを貪りぬ               しばし楽しい思いをしていたが

独自り欄に憑ること莫れ             独り手すりにもたれても無駄なこと、
無限の江山                    故国の山河は遙か彼方、見えはしない
別るる時は容易きに、見ゆる時は難し     たやすくも別れてきてしまったが、もう目にすることはあるまい
流水落花、春去りゆきぬ            時は流れ、花は散り、春は去っていったのだ
天上人間                     天においても、人の世でも

五代十国の時代、揚子江の下流域に建った南唐最後の王李煜(りいく)が、北宋の都に囚われの身となっていたときの詩。捕らわれて3年後、毒殺されたという。          
南唐は十国のなかでも版図は最も大きく、経済的にも文化的にも栄えていた大国だった。これは、季節の移ろいと、自ら体験した権力の興亡を二重写しにした作品。
最終行は他の解釈もあるようだが、「春」を作者の人生の華やいだ時期をも指すものと解して、上のようにした。

また、これは正確には「詩」ではなくて「詞」。唐代に西域から入ってきた曲に歌詞を付けたもので、タイトルも、その曲あるいは形式の名前。形式の数は数百から数千種類もあり、厳格な平仄の規則があった。その内「浪淘沙令」は、52文字ないしは54文字ほどで作られた二部形式のもの。

江守氏の読みは、言葉の意味に十分に即した満足出来るものです。     上へ  
(h22/12/6)


18.李白 「月下独酌 其の一」
     
   
花間、一壺の酒
独り酌んで相親しむ無し
杯を挙げて明月を迎え
影に対して三人と成る
月、既に飲を解せず
影、徒に我が身に随う
暫く月と影とを伴いて
行楽、須く春に及ぶべし
我歌えば月徘徊し
我舞えば影繚乱す
醒時は同に交歓し
酔後は各おの分散す
永く無情の遊を結び
相期して雲漢邈かなり

李白の名作ですね。これはまあ、酒を飲みながら聞くのが一番いいでしょう。    上へ 
(h22/12/13)


19.白楽天 「八月十五日の夜、禁中に独り直し、月に対して元九を憶う」


   

銀台、金闕、夕べ沈沈            金銀で飾られた楼台楼門も夕闇に沈み、
独宿、相思いて翰林にあり          私は独り翰林院で宿直をしながら、君の事を案じている
三五夜中新月の色               空に上がった十五夜の美しい月を見て、
二千里外故人の心               二千里かなたの君は何を想うだろうか
渚宮の東面、煙波冷ややかに        いにしえの楚の宮殿の東、川靄は冷たく漂っていることだろう
浴殿の西頭、鐘漏深し             ここ浴殿の西では、鐘や漏刻の音と共に夜が深まっていく
猶お恐る、清光同じくは見ざらんことを    この清んだ光が、陰ることなく君にも見えていればいいのだが
江陵は卑湿にして、秋陰足し         そちら江陵は低湿の地で、秋は曇りがちだというから

これも名作。宮殿と月、宮中と江陵を対比させながら、左遷された友人を想う。
5行目は元九の冷えた心持ちを、6行目は深く憂えている自分の心境を表したものだろうか。
江守氏の読みにも何も言うことはありません。特に2行目の乾き沈んだ感じの読みが秀逸。                           上へ
(h22/12/15)



20.杜甫 「登高」
      

風急に天高くして猿嘯悲し     秋の空高く、強い風が悲しげな猿の声をどこからともなく運んでくる
渚清く沙白くして鳥飛び廻る    川べりを見下ろせば、清んだ渚や白砂を鳥は飛び巡っている 
無辺の落木、瀟々として下り    果てしなく広がる林では、枯れ葉がもの寂しく散り行き、 
不尽の長江、滾々として来たる   尽きることのない長江を、水はとめどなく流れ来る
万里悲秋、常に客と作り      遠く異郷を彷徨い、いつもよそ者として寂しい秋を迎えた
百年多病、独り台に登る      生来の病弱に苦しみ、今連れ添う者もなく独り高台に登る
艱難、苦だ恨む繁霜の鬢      辛いことばかりの我が人生、白く変じた髭がうとましい 
潦倒、新たに停む濁酒の杯    今では体も衰え果てて、濁酒を口にする楽しみさえも失った

重陽の節句(九月九日)に一族で小高い丘に登り、菊酒などを飲む習慣が中国にはあった。
この頃杜甫は体調の衰えで、酒を飲むのを禁じられていたという。

枯れて行くもの、生き生きと動き回るもの、生と死の入り交じる広大な自然の中に杜甫は一人立って、来し方に思いを廻らす。 自分に残されたのは白くなった髭と酒も飲めなくなった体だけ、大自然に比してまるで塵芥のような惨めとしかいえない状況ではあるが、しかし、それでも自然と対峙し、世界を描写して詩を作ることができる。それだけが支えであり、生きている理由であり、杜甫そのものであるかのように見える。詩を作る、故に我あり、とでもいうべき状況。

江守氏の読みは際だった特徴はありませんが、模範的な朗読といえると思います。
(h23/3/7)                 上へ